伊良部秀輝 プロ野球の速球派

伊良部秀輝

伊良部秀輝(いらぶひでき)は、千葉ロッテマリーンズ、ニューヨークヤンキースなどのメジャーチーム、阪神タイガースでプレーした日本人ピッチャーです。沖縄県で生まれ、尽誠学園で甲子園出場、1987年のプロ野球ドラフト会議でロッテから1位指名を受け、プロの世界に入りました。

入団当初は速球で押しまくるだけのピッチャーで、かつ制球難のため活躍ができませんでしたが、変化球を織り交ぜてのピッチングに開眼、先発ローテーションの中心投手になります。1994年に15勝で最多勝、最多奪三振、1995年は最優秀防御率と最多奪三振を上げるまでになり、当時彼から三振を喫すると伊良部クラゲにやられたと言われます。彼が投げた最高時速158km/hは、当時プロ野球最速を誇りました。

1996年オフ、球団とトラブルを起こし、それがきっかけとなって希望していたニューヨークヤンキースに入団、初年度から活躍しました。1998年には13勝、1999年には11勝をあげ、移籍したエクスポズ、レンジャーズでも活躍しましたが、病気のため日本球界に戻ります。

2003年の阪神優勝に貢献するも翌年戦力外通告、現役を引退しました。その後アメリカにて、うどんチェーン店開業するも2008年に廃業、九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスにて現役復帰するも翌年引退しました。

2011年7月27日、ロサンゼルス郊外の自宅で自殺、享年42歳でした。